オリエント急行とは、19世紀末(1883年)よりヨーロッパで運行が始められた国際寝台列車です。
初期はパリからイスタンブール(当時はコンステンティノープル)の間、その後拡充して一時期はギリシャ、ルーマニア、ドイツ、イタリア、オーストリア、スウェーデンなど、様々な国を走っていました。
そんなオリエント急行、1988年に日本にやって来ています。
オリエント・エクスプレス'88と呼ばれたこのイベント、実は私が当時住んでいた水戸にもやって来ています。
その写真を撮影していました。
日本への長い旅
1988年9月7日にパリを出発したオリエント急行は、ベルギー、西ドイツ、東ドイツ、ポーランド、中国から香港に至り、そこから船で日本に渡ります。最終的に1ヶ月強かけて、10月17日には広島、10月18日に東京に到着しました。
オリエント・エクスプレス'88の経路 (出典: Wikipedia)
このとき、パリから15,000kmあまりの走行、世界最長距離を走行した列車としてギネスブックにも記録されました。全区間を乗車した乗客は17名いたそうです。
その後、この車両を使って日本国内のツアーを行い、3ヶ月間日本中を旅し、1989年1月には船でヨーロッパに向けて出発しました。
水戸にやって来たオリエント急行
この日本国内のツアーの最中、あちこちの駅にて客車の一般公開が行われました。
私はそれに行ったのですね。
当時私は白黒写真を自分で焼いており、カラー写真は残念ながら撮っていません(機材がなかったため)が、WAGON LITS (ワゴン・リ)と書かれた正真正銘オリエント急行の車両であることがわかります。
右上の方に「3ツドアの車 電車乗車口 ⑨」と書かれた札があります。当時水戸駅のホームにあった乗車口表示です。
ホーム間の線路の数が2本ですので、6番線に立って7番線に停車している車両を撮影していることがわかります。機関車は上野方を向いています。
水戸駅の橋上駅舎が営業を開始したのが1984年7月1日、大洗鹿島線の開業が1985年3月14日で、すでに上の写真(1988年)のときは現在と同じく8番線までホームがあったのですね。
牽引をしていたのは蒸気機関車ではなく、電気機関車EF81の83号機でした。オリエント急行のヘッドマークをつけています。色が出ていませんが、特別塗装ではなく、普通の小豆色(赤13号)でした。
路線ごとに異なる機関車が牽引しており、直流電化路線では主にEF58やEF65、九州の交流路線ではEF76、常磐線のような交直流路線では主にEF81が使われていたようです。
この写真は勝田側を望んでいます。
上の写真では、"CAMAS"の表記が見えます。これはスペイン語で寝台(ベッド)の意味です。オリエント・エクスプレス'88も、元となったノスタルジー・イスタンブール・オリエントエクスプレスもスペインを走ってはいないようですが、乗客にはスペイン語話者の方もいたのでしょうね。
オリエント急行の日本国内運行時は、各所で駅での公開イベントを行いましたが、その際にサボに公開する駅名を入れてありました。
Wikiepdiaの当該記事では水戸で駅イベントを行ったとは書かれていないのですが、上のサボを見るとちゃんと水戸の名前も入っています。
この時に書かれていたのは、サボ左側が仙台、上野、広島で、右側が水戸、大阪、博多でした。
今は遠い昔の話
そんなオリエント急行も2009年に廃止されてしまい、現在は走っていません。
一世を風靡した「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」そして「夢空間」はみなオリエント急行の影響を受けたと言われていますが、世の中がスピードや利便性、効率性重視になり、これらも全て廃止されています。
現在(2018年現在)日本で走っている定期寝台列車はサンライズ出雲・瀬戸のみ。
この手の列車の廃止は世界的な趨勢かもしれませんが、ちょっと寂しいですね。
匿名
画面が真っ暗、でもカーソルは出てる状況。
探して、ここにたどり着きました。
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修理に出す寸前でした。ホントにありがとう!